「朝ドラあんぱん」で、『手のひらを太陽に』誕生の瞬間が放送されました。
『手のひらを太陽に』はやなせたかしさんが作詞した歌だったんですね!
誕生秘話や、「朝ドラあんぱん」と実際で誕生エピソードにどんな違いがあるのか?まとめました!
『手のひらを太陽に』誕生秘話!
『手のひらを太陽に』は、やなせたかしさんの戦争体験・将来への不安・才能溢れる人々との関わりを経て誕生しました。
誕生秘話の3つのエピソードを以下にまとめました。
誕生秘話①やなせたかしの戦争体験
やなせたかしさんは、太平洋戦争で出兵や飢え、大切な人の死を経験しています。
『手のひらを太陽に』の歌詞が何気ない日常から生まれたのは、それだけ日々「生」に向き合っていたからかもしれません。
やなせたかしさんは、「悲しいも嬉しいも、生きているからこそ味わえる感情」だと話していました。
「悲しい」から「嬉しい」が分かる。
「悲しい」の先に「嬉しい」がある。
悲喜交々なんだと語っています。
誕生秘話②やなせたかしの将来への不安
やなせたかしさんが『手のひらを太陽に』を作詞したのは1961年、42歳の時。
TVやラジオの構成など仕事はあるものの、漫画では活躍できず不安を抱えていた頃です。
手塚治虫さん・藤子不二雄のお二人・赤塚不二夫さんら天才漫画家達が台頭していた時代。
やなせたかしさんは「仲間は大活躍なのに、自分だけひとりぼっちみたいな気分だった」と当時のことを振り返っています。
そんな鬱々とした気持ちで、夜、仕事場にいた時にこの名曲は生まれました。
やなせたかしさんが夜に一人、特にやることはないが仕事場にいた。
寒いので電気スタンドに手をかざして温めた。
指の間が綺麗に赤く見えた。
子どもの頃、懐中電灯で手を照らし、レントゲンごっこをして遊んでいたことを思い出す。
懐中電灯を持ってきて手のひらに当ててみる。
手のひらから透けて見える血の色が驚くほど綺麗で見惚れる。
こんなに落ち込んでいるのに、血は元気に流れているんだなと感じた。
励まされたような気分になる。
「手のひらを太陽にすかしてみれば」のフレーズが思い浮かぶ。
歌詞が完成。
ちっとも良い歌だと思えないが、友人のいずみたくさんに曲を付けてもらう。

きっかけは懐中電灯だったんだね!
懐中電灯だと具合が悪いから、太陽にしたらしいよ♪
誕生秘話③才能溢れる人々との出会い
『手のひらを太陽に』の誕生に、作曲家のいずみたくさん、作詞家の永六輔さんの存在があります。
この3人の関係をまとめました。
永六輔さんが舞台ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』を企画。
このミュージカルの舞台美術を、やなせたかしさんに依頼。
(面識なしの、突然の連絡)
(きっかけはやなせたかしさんが書いた永六輔のインタビュー記事について)
このミュージカルでいずみたくさんとも出会う。
(ここから名コンビとして多くの作品を生み出しました)

変わり者と言われていた永六輔さん。
「見上げてごらん夜の星を」に刺激されて、やなせたかしさんも作詞に興味が湧いたらしいよ!
『手のひらを太陽に』誕生で「朝ドラあんぱん」と実際の違いは?
上記で『手のひらを太陽に』が誕生するまでのエピソードを紹介しましたが、「朝ドラあんぱん」ではどう描かれたのかまとめました!
ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」が成功に終わる。
嵩は、みんなほどの情熱は持てなかったことを悔やむ。
いせたくやが「また一緒に仕事を」と誘うも、聞く耳を持たない。
のぶに諭されるも、「口出ししないでくれ」と強く反論。
ある日、のぶが2人分働いていることを知る。
嵩が好きなことをできるように•••。
嵩はショックを受け、のぶを抱きしめ「苦労かけてごめん」と謝る。
のぶは「苦労らあて、思うてないで」と答える。
近くに雷が落ち、停電。
のぶが懐中電灯を付けるとライトが嵩の顔に当たる。
「眩しい」「ごめん」と懐中電灯を手で塞ぐのぶ。
その赤く光る手を2人で見ながら、嵩が歌詞を呟く•••。
「朝ドラあんぱん」は夫婦の物語なので、2人で辿り着けたらと考えていたそう。
そんな制作統括の想いを汲んで、脚本家の中園ミホさんが史実をアレンジ。
雷と停電というシチュエーション、嵩だけでなくのぶも関わるドラマティックな展開が生まれたということです。